編集後記全国のお客様ご紹介(22) 目次に行きます…
>>BACK / HOME / NEXT

「コートジボワールでのしめ鯖」
---------------------------
[BRB様からのメール]
先日は大・大・大迫力のガゼルの作品有り難うございました。
壁を整理をして飾ろうと思います。
早速ですがアフリカフェを飲みながら当時を思い起こしながら書いて見ました。

コートジボアール:
セイシェル諸島から始まりアフリカサイドギニアまでの長期航海が始まる時に日本出港前から、コートジボアールの港で現地駐在の日本人等の招待パーティを開催するとの事でそれなりの和食パーティ用の食材等を積み込みました。

ザンジバルの「驚嘆する家」側から海を眺めた様子です。
それとアフリカ入出港時の(接待用)現地人官憲用に上下スーツ、Tシャツ、Yシャツ等の男・女物古着をダンボール20箱位積み込みました。
この古着がアフリカサイドでは活躍するのです。
古着ばかりではありません、ありとあらゆる物品が活躍をするのです。

パーティ等は現地駐在の日本人等(○○館○○書記官・企業関係者家族等)食の癒しと入出港時の手続きをスムーズにする為に、人力を尽くされる荷主関係の現地人等を招待し開催されます。

アフリカサイドは密航者のトラブルが多い所です。
国を捨て他国に新天地を求めているのか?それとも何者かに追われているのか?出港時は必ず港の沖合いにアンカーし船内サーチを乗組員全員で行ないます。それは船の先端からエンジンルーム、荷物の隙間マストの上まで隈なく捜索します。それでないと出港後に現れると大変な事になります。
パスポートや身分証明書等を所持している場合は手続きとペナルティを払い送還出来ますが不携帯の場合は受け入れる国が見つかるまで人身確保していなければなりません、受け入れる国が無ければ最悪日本まで連れて行くことになり大変な経費と労力を使います。

それでも一度ですが、何処に隠れていたのか出港後2日目に寒さと飢えで「グッドモーニング」などと言って出て来ました!・・・・《緊急事態》です。
直ぐに拘束して取調べが始まりましたが身分証明書等を所持していたので現地代理店等へ無線連絡し次の港で下船許可が出ました。
かなりのペナルティを支払った模様ですが港で引き渡す前に、泣き叫ぶ密航者を現地人人足頭?・・・が持ってた棒でボコボコに殴っていました。
少しだけ可哀想な気持ちになりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

画家セイの作品(一部)「セイのKariakoo」です。
パーティ・メニューは当然日本人の大好物な「すき焼・天麩羅・握り寿司」ですが現地人にも既にお馴染みで、大変好物な様子でした。
中でも現地人から一番オーダーが多かったのが「しめ鯖の握り寿司」・・・・にビックリしました。日本人でもしめ鯖は好き嫌いがある食べ物ですが、彼等は揃ってしめ鯖を注文しました。味覚って何処の国の人も皆同じって事ですかね?

コートジボアールの港は水面一面に緑の浮き草が張り巡らし、草原の中を船が前進しているかの様な強い錯覚を覚えたのを思い出しました。

コートジボアールでは2度パーティを開催しました。
総勢60人位のパーティも無事終了し現地駐在の日本人同士の懇親や久々に会えた事で尚一層の強いつながりと連絡網、最新情報等を確認出来たようです。

翌日、コートジボアール日本人代理店の方が「車で案内してあげます」と誘われたのでドライブをする事にしました。
少し走っていると、道路両側の腰くらいの高さの木や草の上にカラフルな色をした服などが見渡す限り延々と干してありました。その内目的地へ着いた様子でしたので歩いて付いて行くとそこはコートジボアールの洗濯屋さんの洗濯風景でした。

広い池の中に20人位の男女が腰まで水に浸かり、所々に長方形の石があり洗濯物を振り上げては石に叩きつけている洗濯風景を目にしました。またここでも、一人の男が音頭を取りその後を皆で訳のわからない歌を歌っていました。洗濯場の区切りの隣は、きれいな水の様ですすぎ洗いをする男女20人位が二人一組で洗濯物を両方から絞り上げていました。これまでを見ていると「洗濯係・干し方・取り込み方・すすぎ方」と分担されている様子に見えました。

その場を一時見学した後、少し走った所の道路の両側2〜300m位にスーベニアショップ・露天商が所狭しと並んでいました。店を見て歩くだけで疲れてしまうほどの沢山の露天商で様々なものを売っていました。絵も売っていたように思いますが定かな記憶では有りません。
ここではイボイノシシの牙にアフリカ女性の顔を堀込んだものを購入しました。コートジボアールはこれ位の記憶しかありません。

ザンジバルの奴隷の像です。(カテドラル教会の外で・・・)
また、奴隷海岸の近くの土産物店で購入した象牙の腕輪は、主人の話によると奴隷が船に積み込まれる時、望郷の念に駈られないように腕輪や首飾りなど身に付けている物は全部この砂浜で外された物、との事です。「ほんとかな?」・・・そう言われればその雰囲気は有ります、何の飾りも細工も無く、切れの悪い道具で象牙をただ輪切にした物ですし、色、擦れ具合等から見ても長い年月身に着けていたような様子が伺えますから「そうかな?」と思わずには居れません。
今でも砂浜を掘るとその時代の首飾りの千切れた玉などが出てくる事があるそうです。この辺でつまらない話を終わりにします。

只今、パスポートや船員手帳等を捜索中ですが、何せ起きて半畳寝て一畳の状態で写真等も何処にお隠れあそばしたのか検討がつかない状況です。後日出て来ましたら何時頃タンザニアへ行ったのか判明すると思いますが・・・入港時の官憲のスタンプが押してあれば・・・?お知らせします。


[管理人]
日本では江戸時代に「脱藩」という言葉がありました。
産まれた地方から離れる事を許さない時代です。
狭い範囲内でしか生活する事を許可しなかった時代です。しかし時代が変われば「井の中の蛙(かわず)」と子供に教えました・・・多分こんな言葉で庶民は育てられなかったでしょう、江戸時代では・・・脱藩する事を勧めるような言葉になりますから。
アフリカは国境を越えることを許されない人々が今もいます。
日本だって、旅行ビザでは3ヶ月くらいしか他国に滞在する事は不可能です。今でも自由はなく束縛された状態と言えなくはないでしょうが・・・・しかし、日本の場合は日本人同士が互いに助け合おうとして、運命共同体的人生を甘受している面もあり、不自由とは言えません。国の為に努力し協力して結局自身が経済的にも安全面でも守られているわけです。ただ、最近では貧富の落差を認める風潮が現れてきたので、日本人という枠をしっかり作っているのは足かせ・・・?という捉え方をする人々も出て来ます。なんとも言えませんね・・・

しかし、密航者を棍棒で殴る所を想像するだけで「ゾッ!」としました。半端ではありません・・・。悲しい暴力、恐怖管理社会です。しかし、何とか助けてあげる事は出来ないものなのでしょうかね。いわゆる亡命ですから、援助できたら・・・とも考えてしまいます。社会主義国北朝鮮や中国、ソ連(現ロシア)からの亡命を考えれば、よくやったという気持ちも出ますが・・・アフリカ人の亡命者は、最貧国の産まれた国を捨てる利己主義的な人物と見るのでしょうか?
しかし犯罪者かも知れないので、受け入れる国はリスクを背負う事には成りかねません。それぞれの国には法律があるのですから・・・互いの国益を守りあう中で、日本もアフリカとの貿易を許されているということに成るのでしょう。

東アフリカの奴隷時代
ああ、新鮮なしめ鯖の味・・一度味わうと忘れられませんよね〜。はははは^^;ほんと万国共通の美味しさは変わりませんヨネッ。(~o~)
ありがとうございました!
私のような世間知らずの庶民には、とても為に成るお話でした。
また、面白い私たちが知らない世界を教えて下さい、BRB様。

※写真や画像を無断で利用することは出来ません。著作権法に違反する行為は法律で禁止されています。著作権はインピク企画にあります。ご了承下さいませ。又、画像や写真と話の内容は、全く関係がありません。国も時代も随分と違います。雰囲気で用いましたこれらの画像や写真ですので、現実と混同されないようにご注意下さい・・・・。
2003.1.17
© Copyright 2003-07 INPIC KIKAKU  All rights reserved.
>>BACK / HOME / NEXT