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人身売買
ナイジェリアのオバサンジョ大統領は女性会議に参加して、ガボンへ売買される途中の子供達150人が死亡したと発表しました。海軍や公安関係者はコメントを控えていましたが、ユニセフは真相を明らかにしたいと語ったということです。

貧困に苦しむ親がお金と引き換えに子供を手放し、数千人といわれる9歳から12歳の子供がガボンやコートジボアールのココアプランテーションで働かされています。ヨーロッパには売春婦として売られる若い女性も多いそうです。(2001年Reuters)

え?
ほんとうですか?
信じられない・・・・
でも、貧しさにはかなわないという事は、私にも分かります。売るものがなければ、子や娘も生活の為に売らざるおえない事情。日本に住んでると余りにも恵まれすぎているので、こんな事も信じれなくなるわけなのです。
そんなのめちゃくちゃだと言われても、やっぱり現実を直視するべきなのです。
道徳教育、宗教教育、義務教育、躾、常識・・・こういう中で育ち一生懸命に働く事が出来る日本人はなんて素晴らしく恵まれているのでしょうか?辛い事は沢山ないわけではありませんが、ナイジェリアのような事はないでしょう... 
         



参考資料:「AFRICA(9-2001vol.41)」アフリカ協会より 
02.5.11



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美術館付きスーパーマーケット、不入り続く
あ、すいません・・・これ新聞の見出しなのですが、何処の新聞なのかは分からないのです。ただ、これ...漫画の中のお話なのですが。

という事で、またまた漫画ギャラリーフェイクです。今回は1992年版代1巻のART.3「北斎の市」からです。スーパーの最上階に美術館を作った轟社長さん、アート・コーディネーターの美川氏とがんばったみたいですけど・・・・北斎のコレクションをこられたお客さんに見せようとして、集客の失敗をします。

それで新聞の見出しには「轟商法アイデア倒れ!?」と書かれてしまいます。


藤田「・・・確かに客を呼べない事にはスーパーは商売にならない。」
轟社長「しかしわしは・・・・」

轟社長「どうしても北斎を、置きたいんですわ。東海道五十三次とか、富獄三十六景......葛飾北斎といえば、いわゆる風景画の浮世絵師としかわしも知らんかったんですが、収集してみてはじめて、とてつもなくスケールのでかい人間だとわかったんです!」

藤田「確かに浮世絵師としてくくるのは、北斎の仕事はあまりに多方面に渡っています。美人画!風景画!役者絵!花鳥!物語絵!70年に及ぶ絵師生活!日本中を遍歴し、残した作品は10万点余!!遠くヨーロッパの印象派にまで影響を与えたという話は有名です!しかし、おっしゃるように、日本での評価は不当に小さい!ダ・ヴィンチやピカソと並ぶ、日本美術史上空前の天才・巨人と言っていいでしょうな!」

轟社長「北斎は、いつも”現在の自分”に満足せんのです!師匠を10人、画号は30も変え、生涯93度の引越しをし・・・とにかく、その生き方が、一時も立ち止まらずひたすら己を変革しようという姿が、たまらなく好きなんですわ。・・・・頼みます、金はいくらかかってもいい!・・・・・」

藤田「・・・・・・・・・」

・・・・それで、藤田らで考案し奇抜なアイデアを利用したスーパーには客が客を呼ぶようにして押し寄せるように集まってきます。アート・コーディネーターの美川氏はそのアイデアを前にして驚き、負け惜しみを言います。

美川「こ、これが美術か・・・?邪道だッ!こんな安っぽいコマーシャルリズムの道具に使うなんて!!」

藤田「よせよ・・・・北斎といえばコマーシャルリズムの寵児!なにしろ当代きっての人気イラストレーターだったんだぜ。孤高の天才ではなく、大衆を魅了する力も持っていた!それこそが北斎のでかさなんだよ!」

つまり、最初から私の作品は芸術品なのですから、そう評価して下さいネーって、そういうばかりの画家が何も全ての美術家とはいえないということなのです。人気があり売筋の作品を制作できる画家であっても、歴史に残りうる芸術家としての一つの要因になるのではないでしょうか。売れる作品を描ける現生の画家・・・・・例え最初は額縁よりも安くッたっていいじゃないですか?ねぇ
参考資料:「ギャラリーフェイク〔1〕」細野不二彦 (amazon books)より 
細野不二彦 ギャラリーフェイク (楽天BOOKS)
02.5.6



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イスラム教、信者=ムスリム(muslim)の起源
それで、タンザニアでは60%がイスラム教の信者だと言われています。ザンジバル島にいたっては98%の信者、つまりムスリムなのです。彼らを理解しようとすれば、必ずイスラム教?それは何だ?と考えざるおえないのです。

しかし日本人には残念ながら宗教観が無いといわれています。第二次世界大戦以降、敗戦を体験した日本人は、戦前の教育、体制などに対するトラウマ化教育が成されて来ました。それは何かといえば、反戦と反天皇制教育と言えるでしょう...その中で生まれ育ったのが戦後の日本人なのです。私もその1人ですが...。天皇は教育勅語を持って日本を治めていた構図が頭に浮びます。つまり、教祖が経典を使い信者を治めるといった方法です。しかし、そこから解き放たれた私たちは彼らの国をどう理解できるでしょうか?また逆に、無神論であるが為に中立であり理解できるというわけでもありません。大雑把な表現で申し訳ありません。

さてイスラム教とは、いったいどんな宗教であったのか、再び高校の教科書を紐解いてみましょう。


6世紀後半、東西貿易は絹の道で運ばれた商品も、海の道で運ばれた商品もアラビア半島経由を余儀なくされ、メッカはこの国際的中継貿易を独占して栄えていました。(アラビア半島のメッカはアフリカ大陸側から紅海を挟んで対面に位置します)

この地の商人ムハンマド(=マホメット、約570年〜632年)は、唯一神アッラーの啓示を受けた預言者であると自覚します。そして当時のアラブ人の宗教であった多神教と偶像崇拝が、人々の精神の堕落を招いたと考え、厳格な一神教のイスラム教を唱えました。しかし、メッカの大商人たちの迫害を受け、622年にメディナに移住します。それでムハンマドを宗教・政治両面の指導者とするイスラム教徒の共同体が建設されたのです。

共同体のものは、日常は世俗の職業に従事し、しかしいつでも戦場に赴(おもむ)く戦士でもあったのです。ムハンマドは彼らとメッカを征服し、多神教の神殿であったカーバをイスラム教の聖殿とします。そしてムハンマドが亡くなるまでにメディナの共同体の指導に従うアラブ諸部族の緩やかな連合体が、アラビア半島の広い地域に成立していったのです。

イスラム教の経典「コーラン」は、啓示の記録です。その経典の中心は何かと言えばアッラーへの絶対的服従にあるのです。イスラームという言葉はつまり、絶対的服従という意味なのです。イスラム教は信仰だけではなく、世俗の生活全てを規制しています。政治的、社会的、文化的活動の全てを含んでいます....

そして、ムハンマドは「新約聖書」と「旧約聖書」を「コーラン」に先立つ神の啓示の書とみなし、キリスト教徒、ユダヤ教徒は啓典の民として信教の自由を保障したのです....

人間が人間である為には、道徳を重んじなければただの動物に成り下がってしまうのです。約束、法律、経典...などを守り、実践してこそ堕落を回避できうるのが人間社会ではないでしょうか?守らねば成らないものが何か分からなくなった国や社会、個人は、滅びていくしかないのです。逆の事をいえば、つまり分けの分からない時代が来たという事は、守らねばならない根本的なものを失ったということなのではないでしょうか?

イスラム教・・・絶対的服従・・そういう意味があったのですか?一つ間違えれば恐ろしい言葉ですね。



参考資料:「世界史(山川出版社)」1987年文部省検定済教科書より 
02.5.2



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