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目次に戻ります。悲しい情報はここで〜す!な、何のお話?

マウンテンゴリラの悲劇
[河合著]
ゴリラには忘れえぬ事件があった。
コンゴのキブ湖畔に立派なベルギーの研究所があり、マウンテンゴリラの一群を囲いケージで飼っていた。
コンゴ独立の動乱で研究所が閉鎖され、捕獲したスイス人がゴリラを持ってウガンダに逃げ、動物商を通じて「番(つがい=♂♀)を買わないか?」という話が持ち込まれた。
世界の動物園でマウンテンゴリラを保有しているのは二園だけ。翌年開設予定の世界サル類動物園の超目玉として最高だった。

そのゴリラは、伊谷さんと私は現地で見ており、実に堂々としたシルバーバック(ゴリラの成獣のこと)だったと惚れていた。是非欲しいと思ったが、値段が3500万円!・・・・

さて、河合さん達はどうしたのでしょう?この高価なゴリラ・・・をです。・・・・しかしスポンサーを「絶対大丈夫!」と説得しました・・・・・さて、どうなったでしょうか?

[河合著]
夢のマウンテンゴリラが羽田に着いた。
小さな輸送箱に押し込められ、弱り果てた二頭を見て、愕然となった。ナイロビ発のインド航空に輸送を断られた。ゴリラはアフリカ、大西洋、アメリカ、太平洋を横断し、しかも、ニューヨークの植物検疫で500キロの餌が没収焼却され、飲まず食わずの状態でやって来たのだった。
懸命の治療の甲斐もなく、雄のムニディは5日目、雌のエミーは9日目に死んだ。ムニディは最後に立ち上がり、西の空に向かって故郷に別れを告げるがごとく大咆哮(だいほうこう)した。伊谷さんが「天皇陛下万歳やな\(-o-)/」と言った。


これは1961年(昭和36年)5月の事です。
死んだ彼らは、病理解剖や一般解剖により、研究の対象に用いられ、その後モンキーセンターの剥製となります。しかし莫大な費用を一辺に無くしたようなものであるにもかかわらず、一言もスポンサーからの苦情はなかったという事です。りっぱなスポンサーですよね。
 その後人類学者である筆者はコンゴの奥地の結核菌がもとで乾酪(かんらく)性肺炎で入院します。死と対峙した苦渋の日々にもかかわらずストレプトマイシンのお陰で奇跡的に健康を取り戻します。

それにしても可愛そうなのはマウンテンゴリラですよね。暑くて狭くてお腹もすいて苦しい船旅だったでしょうねー(T_T)ちなみに世界には600頭程度しかおらず、極めて絶滅の危険が高いということです。(ルワンダに生息するマウンテンゴリラは、355頭で、基金も創設されているとか。)




石井礼子さんのイラスト
国立科学博物館HP資料へリンク
■参考資料:「日本経済新聞(40面)」より
2002年10月18(金)朝刊
※「ゴリラ探検記」河合雅雄(KawaiMasao)
02.10.20


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