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自立の精神を損ねる度を過ぎた援助
援助物資の安易な供給で自助努力の必要が無くなっている。

度を越えた慈善は悪である。
従って慈善を施す場合、曽野氏の言葉を借りると「真心とか温かい心とかは案外困りもので、むしろ冷静な計算が必要」なのである。安直なセンチメンタリズムは豊かな国の人の思い上がりに過ぎず、人間の尊厳の軽視なのである。・・・・

慈善は自力で生きていけない人が存在する限り、もちろん必要であり、善いことである。しかし、それだからといってお布施は多いほどよいというものではない。必要の限度を越えて行えばかえって害があるものである。飢餓救済に関っている豊かな国の人達は、必要を超えた慈善が自立の精神を損ねることを無視して、より多くの人により多くを与える事が良いと考えているようである。・・・・・

援助は常に重点的かつ効果的な援助にしぼるべきで、ばらまきは慎まねばならない。財政の厳しいこの時期、援助大国の虚名を追わず、日本の経験と能力に合った分野に援助を絞り込み、真に途上国の発展に役立つ援助に転換させる、発展効果の高い援助に集中する必要があると思う。

そして、途上国国民の尊厳を認め、的外れの理解で途上国の援助依存症に堕落させない事が大切である。・・・・

確かに・・・・
人間を堕落させる行為が、いつの間にか行われていたのかも知れません。・・・・・服部先生の著書は、ボランティアを助長させる書籍を多く参考にしてきたこちらのサイトでは、大切な塩の役目を果たして頂けそうです。砂糖ばかりじゃなくて、塩も調理には必要ですね。そして実は第三者からみた客観的な視点で、海外に向かって援助してこられた方々の足跡を冷静に分別されておられます・・・
参考資料:「援助する国される国」(服部正也)より 
02.1.10



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日本のオークション最高価格(コレクターの日々)
2000年12月2日、岸田劉生の作品が何点か出品されたのだが中でも注目されたのが「毛糸肩掛せる麗子肖像」である。買うというよりもむしろ、それを見るために、700人を越える人達がオークション会場にあふれ、椅子の置き場も無いほどであった。
予想価格は2億5千万〜3億5千万と書かれてある。電話での注文がかなり入っていたようで、競りは2億5千万から始まった。

パドル(手札)が上がる度に1千万単位で値が上がる。あっという間に3億までいった。大台に乗ると買い手の数も減り、私の目の前で二人の人物が駆け引きを始めた。私より四列前の人が3億3千万に手を挙げた。しばらくしてもう一方から3億4千万に手が挙がった。私が最も動向を注目していた四列前の人もさらに手を挙げ、3億5千万となった。

売り子がハンマーを持ち上げ、もう決まるという瞬間、それまで蚊帳(かや)の外にいた私がパドルを挙げた。「はい、3億6千万円、後ろの方」。私の全神経は四列前の人に注がれたが、ついにその人は挙げなかった。パドルを一回挙げただけの私が落札した。・・・・・・・・・オークション終了直後から、多くのマスコミ取材を受け、日本のオークション史上最高価格の落札と報道された。

この方は、住建美術館館長さんのようですが・・・かっこいいですねー、こんなオークションなら私も参加してみたいですね。
それにしても桁外れの岸田先生の絵画・・・・・・
岸田劉生公式HP
参考資料:「中国新聞」(緑地帯:中村利夫)より 2002.1.5付
02.1.6



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ケニア・タンザニアでの犯罪U
タンザニアのダルエスサラームでは急速にインターネットカフェが増えています。料金は1時間1000タンザニアシリング(Tsh)が標準です。中にはインターネット電話をかけられる所もあり、1分300Tshが標準です。夜遅くまで開店しているが、行き帰りには治安に注意が必要です。

タンザニアから日本に電話をする場合は、日本のように何処にでも公衆電話があるわけではなく、ダルエスサラームやナイロビでは地方に比べて通信事情がよく、国際電話局や民間の電話Faxサービス会社、大きいホテル、旅行会社などから利用できます。(ダルエスサラームの電話局はEx-Telcoms Houseで毎日8:00〜23:45まで営業している)
ダイレクトコールの通話料金は1分ごとに2599Tshが基本で、手数料は126Tshです。
黄色いカード式電話があり、電話局前の他、ホテルやレストランでも見られます。カードの度数は6000Tshからあり、国際電話をかけられます。

犯罪の手口は巧妙ですから、日本人からは考えられない内容なので是非参考にして下さい・・・・・

日没後、特に遅い時間、中心街でも街灯の少ないところでは危険です。武器を持った複数犯が多く、カップルや女性だけのグループ、単独者が狙われやすいのです。バスは刃物などを持った彼らの温床で、特にナイロビの町と国際空港間のバスは、利用してはならない、外国人旅行者のほとんどが、スリや引ったくりにあっているので乗らないのが賢明です。
また、大使館のローカルスタッフ(現地人)と称して、旅行者が宿泊しているホテルなどを直接訪れ、そこでパスポートや現金などの提示を求め、いつの間にか現金を抜き取られているのです。

偽の警察官が逮捕と偽って路地や路地の一室に連れ込んで所持品を強奪するケース。
ツアーは旅行会社で料金を払い、レシートを貰うのが鉄則だが、路上で声をかけられたり、ホテルに勧誘に来たりサファリツアーの前金や全額を要求するが持ち逃げする。
旅行者に話しかけ、反対側で別の仲間が所持品を盗む。
空港、ホテル、レストラン、ナショナルパーク内のロッジなどでは置き引きに注意して下さい、自分の鞄から目をはなさない事です。
高級ホテルで鍵をかけても安心できません、貴重品は封印をしてフロントに預ける事。安宿では、フロントも安心できないのでやむおえず持ち出す時には、外部から分からないようにする事。
ダルエスサラームからナイロビ間や、モンバサからナイロビ間のバスの中では睡眠薬入りの飴や飲み物をすすめるが飲んではなりません。飴をなめたとたんに意識不明になり気がつくと病院のベットの上という事件が多発しています、荷物を取られないようにして下さい。
知り合った現地人から安全のために貴重品を預かってあげると言われても安易に信じない事です、持ち去られる事もありです。
車の中にマリファナを投げられても手に触れないことです、指紋チェックで有罪になる可能性があります・・・・・

ドロボー!といっても日本語は通用しませよね。スワヒリ語では「Mwizi!」です。

数え上げればきりのない防衛策で、いやになりますねー。ここまでいくともう、ケニヤ、タンザニアなんかには御免だー、とこうなりますよね〜?いかに日本が平安に満ちているかがお分かりになられると思います。月とスッポンですね、ほんと。ホントホント・・・・。
参考資料:「地球の歩き方」(東アフリカ)より
02.1.4



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ビートルズで有名なリバプール
イギリスは1750年から1785年までにリバプールを拠点にして、ある貿易で儲けた関税収入は、35年で約12倍までに膨れ上がっていました。年平均の関税収入は5万ポンドから65万ポンドになりました。
1709年には100分の1にすぎなかった、ある商品を運ぶべく貿易船は全体のうちでその割合は1771年には3分の1になっていたのです。約60年の間に・・・

いったい何をリバプールへ輸入していたのでしょう?
はい、それは奴隷です。

イギリスの産業革命の基盤である綿工業は、奴隷貿易が呼び水となって開始されました。イギリスのそんな資本家は、工場経営に、バークレー銀行の設立に、ジェームズ・ワットの蒸気機関の発明に融資して行ったのです。

インド洋に面した東アフリカの都市国家では、インドやセイロンや紅海の向う側の国々と平和的な貿易を営んでいましたが、ポルトガル人の到来により破壊されてしまいました。
しかしそれでも軍事力の強力な封建的統一国家は、奴隷貿易の害毒を回避出来ましたが、散乱して原始的生活を営んでいた多くの内陸の部族は、奴隷狩りからの自己防衛術に欠けていました。
それで、赤道沿いの内陸地帯の住民は、最大の犠牲者でありました。アフリカ西側の奴隷海岸などの恐怖に気付いて東に移動した時には、不幸にも東からもアラブ人奴隷商の波が押し寄せていました。

しかし彼らは身を隠すという消極的な自衛策しか持っていませんでした。捕らえられると、首かせを架けられ、奴隷棒を担がされ、鎖につながれたまま、這うようして海岸まで歩かされました。炎天下でも食糧も水も十分に与えられず、無造作に日射病による死にさらされました。家族から引き離され、焼印を押され、鞭で打たれたのです。

人口統計学者によると、アメリカに上陸した奴隷の数を1500万人と見積もり、アフリカからの輸出人数はその数倍の5000万から6000万人と推定しています。

奴隷貿易が始まった頃、アフリカにはだいたい5カ国の王国が存在してましたが、その中でいち早く奴隷貿易の害毒に気が付いたコンゴ王国のムベンバ王はポルトガル王に奴隷貿易に対して抗議状を送っています。「損害がいかに大きいかは、計り知れません。・・・・貴王国からは、牧師、少数の学校教師ならびに聖礼用のぶどう酒と小麦粉以外の商品は望みません。・・・・」しかし、無視続けられました。沿岸地方の族長たちは奴隷貿易で甘い汁を吸っていたので、奴隷貿易は繁栄する一方でした。
そして300年後、ブラジルでは奴隷貿易が禁止となり、ポルトガル人がコンゴ王国より手を引いた時には、おびただし人口を失い、繁栄していた都市は静かな村に変質していたのです。

今ある先進諸国の繁栄は、こういった奴隷にさらされた国々により成り立っているわけです。弱肉強食が法律であるかのような自然界そのままの本能的姿が浮き彫りにされています。彼らが無理矢理に自分達の犠牲にして来たアフリカの人々は悲惨です。その犠牲の土台の上でイギリスは繁栄し、世界の頂点を極めたわけですが、私達も時代は変わっていますがそんな象徴的なイギリスの繁栄を謳歌した上に有名になったビートルズという存在を知っています。彼らはすでに第二次世界大戦が終わり、植民地が解放に向かい始めた歴史の新しい方向性の中で生れた世代でもありますが、皮肉ですね。平和、愛、平和と叫んでるのは、リバプールからなのですから・・・・・
参考資料:「アフリカの歴史」(岡倉登志) 書籍より
02.1.2


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