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サファリとは
サファリとはスワヒリ語が取り入れたアラビア語源で「旅」ということ。

ずっと離れた隣村の婚儀に行くのもサファリだったが、その後アラブ商人の内陸部への象牙・奴隷買い付け旅行、欧米人の狩猟旅行、さらには銃をカメラに持ち替えての撮影・観察旅行と、時代が移るにつれ、だんだん意味が変わってきていて、今やサファリといえば、この撮影・観察旅行が主体になっている。そのサファリの態様も乗り物などによって、次の通り、いろいろある。

「自動車使用サファリ」
 これが最も一般的なもので、屋根を傘型またはふた型に改造し、座席も9人用!に改造した日本のニッサン、トヨタのワンボックス・カー(4輪駆動とは限らない)が圧倒的主力。屋根からなら、窓からのぞくより遠くが見渡せるし、カメラの操作も楽である。・・・・超望遠レンズの場合は手ぶれが心配なので、赤ちゃんの枕くらいの砂袋か豆袋を用意しておいて、これを屋根の縁に載せてレンズの枕にする。この場合、必ず袋に長い紐をつけ、他の端を車内の何処かに結び付けておくこと。落したら拾いに行くのが大変だから。特にライオンのいる前だったら?・・・・・

怖いですよねー、猫なら大丈夫ですけどね。紐を付けることですね、分かりました。行ってみたいですね、ナショナルパーク。



参考資料:「東アフリカの鳥2小倉寛太郎より 
02.4.22



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無文字社会ではなかったアフリカ
アフリカの年と呼ばれた1960年前後に次々と独立を果した新生アフリカ諸国にとって、自国の歴史、あるいは自民族の歴史を自分たちのものとして取り戻す事は悲願の一つなのです。・・・・・

そうでしょうねー、その国の歴史は自分を誇れるっていう事でしょうから。名刺の肩書きに似ています。それがないと、あなたいったいどこの人?そう疑われるかも知れませんよね。そういう意味でも自国の歴史は深みがあればあるほどいいです。例えばイスラエル、中国がそうです。


アフリカの過去が否定されてきた根拠の一つには、文書資料や考古学的遺物がない以上、きちんとした歴史は存在しないという考えがありました。・・・けれども外来の観察者、記録者の手になるものであれば、アラブやヨーロッパの文献が残されています。さらにわずかながらアフリカ社会内部に伝わる記録資料も存在します。

アフリカは無文字社会だと考えられている方は驚かれるかも知れないが、少数とはいえアムハラ文字、バイ文字、バムン文字といった固有の文字の記録を残している社会も存在するのです。確かに社会全体の識字率から見れば無文字の状態であったが、読み書きの能力を有する書記階層が大半の地域に見られたのです。

アムハラ?バイ?バムン?・・・・・
※アムハラ文字=エチオピアで一番使われている文字。
バイ文字=リベリアのモンロビア周辺に住むバイ人が使用する文字。
バムン文字=カメルーンのバムン人固有の文字。


また、イスラム圏の西アフリカや北アフリカ、東アフリカの海岸部にはアラビア語史料やアラビア文字で書かれた現地語(ハウサ語、スワヒリ語)の史料が残されています。ただしこれらの多くの古文書の整理はまだなされてはいません。

ハウサ?スワヒリ・・・
※ハウサ語=西アフリカのナイジェリア北西部、からニジェール南部母国語。またベニン北部、トーゴ、ガーナ、カメルーン北部、ニジェールの共通語。
スワヒリ語=語彙には多くアラビア語、ペルシャ語起源のものがみられる。東アフリカ地方。


う〜ん、確かに文字が人間の証し・・・・とはいえなくは無いですが、文字だけの社会なんて事も考えられない・・そこで口承伝承の史料が1950年代から認められるようになったわけですね。
※アフリカの年・・・・1960年前後に17カ国の独立がなされた。
参考資料:「アフリカ史の意味宇佐美久美子より 
02.4.10



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アメリカ合衆国
黒人奴隷は1808年以後禁止されていたが、大農場の増大によって、アフリカから黒人を密輸入して農園主に売る貿易業者も多かったのです。

儲かるんだから、もっとやらせろよ・・・そんな感じでしょうか?アメリカ合衆国南部地域には黒人奴隷を使用する綿花やタバコの大農場(プランテーション)が発展していたが、産業革命以来、綿花需要の増大により、栽培が盛んになり・・・・・・南部は奴隷制の存続などを強く主張します。

これに反し、資本主義にもとづく工業の発達した北部諸州は、イギリスに対抗するため、自由な労働力獲得の必要などから奴隷制に反対していたのです。・・・1854年には奴隷制拡大反対をとなえる共和党が結成され・・1860年共和党を代表するリンカンが大統領に選ばれると南部は分離し、1861年にアメリカ連合国をつくりジェファソン=デヴィスを大統領に選び、南北戦争を始めました。1863年にリンカンは奴隷解放宣言で内外世論の支持を集めるなどで勢いを得て、1865年にアメリカ合衆国は再統一されます。
南北戦争の結果、南部の大土地所有者は没落して中産階級が成長しました。

アフリカでは、古くからアラブ商人が東海岸で奴隷貿易を行っていましたが、17世紀に入り新大陸やカリブ海諸島でプランテーションの経営が盛んになると、労働力の不足から、アフリカの黒人が奴隷として新大陸(アメリカ)へ大量に送り出されるようになりました。奴隷のおもな供給地は、下ギニア(ゴールドコーストからカメルーンまで)で、19世紀までに送り出された奴隷の総数は約960万人(ヨーロッパも含み)と推定されます。

ナチスがユダヤ人を迫害し殺害した数は600万人と言われています。この数は非常に短期間の間に失われたわけですが、それも悲惨な事です。1451年から1870年の間に奴隷として売られていった・・・とはいえ、沢山の方たちですね、960万人というのは。
参考資料:「世界史」山川出版社1988年版より 
02.4.6



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ギャラリーフェイク<7>「草原の巨匠」
漫画家、細野不二彦(ほそのふじひこ)さんのシリーズ「ギャラリーフェイク(7)」の中で、ティンガティンガが取り扱われています。架空の画家ンギリのお話です・・・・・

「手を上げろ!」
「運搬の手段を持ち、地理に明るく、保護区を自由に出入りできる。考えてみれば、狩猟者のガイドにはうってつけだな!」(ムワンギ:野生動物のパトロール員)

「貴様のような奴はこの国の恥だよ!」
「殺すなら殺せ!ムワンギ!ティンガティンガの時のように虫けらのごとくなッ!」(モジャ:密猟者)

「何?」(ムワンギ)
不意をつかれたムワンギの銃を持つ左手にナイフが突き刺さる。モジャはそのすきに逃げようと走り去る。

「ま、待てー!」(ムワンギ)
「ムワンギさん!」(フジタ:主人公)
「あの、あの男は・・・・・」(ムワンギ)

「そうです。思い出しましたよ。あの男はティンガティンガの弟子でした。そして1972年のあの夜、私はダルエスサラーム市で警察官だった。」(ムワンギ)
「では・・・」(フジタ:主人公)
「ティンガティンガを撃ったのは、他でもないこの私です。あくまで、暴走車に対する威嚇のつもりでした。しかし、その一発がティンガティンガの生涯を閉じてしまったのです。事件の後、私はティンガティンガの作品を観るチャンスを得ました。すばらしかった!動物たちの豊かな表情やフォルム!アフリカの大地と空を感じさせる色彩!そして、初めて気がついたのです。この手で、永遠に葬り去ってしまったものの大きさを!まもなく私は警官を辞め、今の仕事に志願したのです。」(ムワンギ)

事実と作り話が混在したティンガティンガの死にまつわるストーリーです。P27からP48に収められている、非常に面白い内容です。この漫画は当サイトを尋ねて下さった百景(ハンドルネーム)さんが教えて下さったのです。私はいつか読んでみようと思っていたのですが・・・・やっと手にしてみたわけです。

1995年12月1日に初版が発行され、発行所は小学館です。

 


参考資料:「GALLERY FAKE〈7〉(細野不二彦amazon books)」より
細野不二彦 ギャラリーフェイク(rakuten books)  
02.3.27


次はNo10です
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